初夏だというのに熱帯夜の寝苦しさに浅い眠りから醒める。
汗に塗れた背を拭きながら男は窓の外を眺めた。
雲の無い空に輝く星々は美しい。
彼は気分転換に夜の散歩に出かける事にした。
男が訪れた庭園は、まだ日付が変わったばかりの時間帯にしては珍しく人の気配が無い。
その方が気が休まる、と大きく息を吸い込んだ男は湿った草花の青臭さに風流を感じた。
ぱしゃ。
水音がしてそちらを振り返る。
月明かりに淡く光を放つ金糸雀色の髪をした女が石造りの噴水の淵に腰掛けていた。
素足を水に浸している為、男からは背中しか見えない。
水遊びの音に混じる女の声は、どうやら何か歌っているようだった。
男は耳を済ませるが聞き取れる歌詞は異国の言葉か、全くの出鱈目だった。
しかし、その旋律にどこか懐かしさを感じる。
女が掬った水が指の間から零れる際に青白い燐光を纏い、重力に逆らい浮かび上がる。
噴水を囲うようにして、発光する水滴は蛍の群れのように漂った。
更に、女はもう片方の手に持っていた白い花を水に浸して振り上げた。
花弁が剥がれ落ちるようにして魔力の込められた水が蝶の形に変わり、ひらりひらりと優雅に舞う。
魔女の作り出す、まるで夜空が降りてきたような幻想的な光景に男は我を忘れて見入っていた。
不意に歌が止み、彼女がこちらを振り向いた。
視線が交わった男はどきりとする。
そして、ぐるりと世界が回り目の前に鮮やかな緑が広がった。
芝に倒れこんだ痛みは感じなかった。
男はもう一度魔女の姿を見ようとしたが、それよりも早く意識が闇に溶け込んだ。
――どれぐらい経っただろうか。
男が目を覚ますと、そこは木の根元だった。
暑気に中てられたのではないかと考えながら起き上がる。
空を見上げ、月と星の位置で数時間の経過を知った。
次に噴水の方に目を遣るが、誰もいない。
やはりあれは夢だったのだ。
納得した彼だったが、その足は無意識の内にそちらへと向かっていた。
夢の中で女が座っていた位置に腰を下ろし、思い出せる限りの旋律をなぞってみる。
正しい音を思い出せないままハミングする男の前を一頭の蝶が横切った。
彼は青白いそれを目で追う。
水滴の蝶は羽ばたく度に翅を崩し、やがて夜空に溶けていった。