活気づいた街に不機嫌そうな少女が一人。
人の群が苦手な彼女にとってはこの場に留まるのは苦痛でしかなかった。
それでも街中を歩くのは、付かず離れず追っている人物がいたからだ。
人混みに紛れつつ前方を行く人物を速やかに暗殺しなければならない。
今も尚、彼女は低い位置から視線を離さず機会を伺っている。
すれ違いざまに肩がぶつかった標的の足が止まったのを見て、エリルの足が速まる。
互いに軽い謝罪をしてから再び歩きだす前に追いついた――
と同時に目の前の獲物が地面に崩れ落ちた。
目の前で痙攣する人物をエリルは驚愕の表情で見下ろしていたが、すぐに振り返る。
標的とぶつかった男が野次馬の向こうで走り去る姿がかろうじて見えた。
エリルは舌打ちをして人の波を押し退けて市街地を駆けだした。
路地裏に入ると、男が配水管をするすると伝って屋上へと向かっていた。
小さな手が建物の外壁に翳される。
すると、メキメキと音を立てていくつもの氷の板が芽が生えるように現れた。
即席の階段を駆け上がり、屋根から屋根へ飛び移る逃走者を追う。
足場の不安定な追いかけっこは成人男性より歩幅の狭い少女の不利かと思われた。
しかし、屋根の縁を踏むエリルの足下からは透明な橋が伸び、体格の差を補っていた。
徐々に距離を詰められていく男が突然振り返った。
きらりと光を反射して凶器が放たれた。
だが、反撃を警戒していたエリルはすんでのところでかわし、その青い髪を掠めただけに終わった。
不意打ちをし損じた男が小さな追跡者の姿に目を丸くしたまま天を仰ぐように背から飛び降りる。
エリルが駆け寄ると、男は荷馬車に積まれた藁の山から転げ落ちるところだった。
しかし、高低差をつけてしまったのは男の失策だった。
冷静さを失わない少女は屋上から逃げる姿を確認して先回りし、窓枠や手摺に掴まって勢いを殺しながら地面へと降りた。
背後を気にしながら走ってきた男が回り込んでいた追跡者に驚いて止まる。
だが、抜け目無い能力者によっていつの間にか張り巡らされた氷に足をとられ、無様にも転倒してしまった。
コツコツと靴音を立てて近付くエリルの手から気泡の混じった刃が伸びる。
「誰の指矩だ」
刃先を仰向けに転がる男の喉元に突きつけて問う。
男は無言で彼女を睨みながら、こっそり袖から出したナイフを握る。
が、その手を少女に踏みつけられる。
「ぐぅ……っ!」
「別に始末しようとか思ってない。……私とは別の依頼人、という事でいいのか?」
男は相変わらず殺気に満ちた眼差しを向けている。
エリルが大きく息を吐くと、辺りの冷気が和らぎ、氷が溶け出した。
「んじゃな、もう会う事は無いだろうけど」
悠々と去っていく後ろ姿を恨みがましい目付きで見送りながら男が起き上がった。
「……くそっ!」
同業とはいえ年端もいかない少女に見破られた上に、敗北ともいえる醜態を晒す破目になったのだ。
暗殺者としての男のプライドは無残にも引き裂かれていた。
その出来事は仲間内の雑談のいい肴になった。
「へ~、タゲが被ることなんてあるんですね」
「結構あるよ。目の前で横取りされたってのは聞かないけどね」
当の本人は雑談の中心で難しい顔をしていたが、唐突に声を上げる。
「よしお前ら、鬼ごっこするぞ」
皆の都合を無視して勝手に決めた彼女の目は爛々と輝いていた。